神基準とは

昔の人は凄いと思いました。
自分の信じる事に剣を立て、交じ合うをしました。
そして時は流れて、
剣を収める時代になります。
どちらかが収めないと、それは成立しません。
ビビる方が収められません。
切られたら怖いから。
剣を収めるを出来た方が凄いと思いました。
その時代の価値観では、非難の嵐でしたでしょう。
そんないらない嵐はどこかへやってしまう精神力。
くだらない交じ合う、なんぞいらん。
マジ!愛う(笑)へを!
↑ちなみに“へ”はおならではなく(笑)矢印のやつね(笑)一応、あいうえ(へ)お(を)😊

怒りを、悲しさを、やるせなさを、自分で気付かぬ劣等感を、卑屈な笑いに変えるのは悲しいよね。
そんならさ。
こっちに変えたら素敵ですね。

息つく間もなく、愛に浸る世界。
いらない剣はルル氣に変える。
本当の強さの価値基準の更新へ。

誰が持ってるだろう?
普通の人?
それとも、
何にも持ってない人?
食べる事も出来ない人?
ニートの人?
障害を持ってる人?
それとも、
お金持ち?
名声がある人?
権力者?


そうね。
あなたかもね。
そして、俺かもね。
悔しくて、悔しくて、悔しいね。
誰が?
自分の胸に聞けば分かるよ。
馬鹿になんかしてない。

だって、自分にも言ってるからさ。

剣がいらない世界に変える事が出来る器か?そして、それを共に、愛に帰る事が出来る新基準の人なのか?

あなたはさ。
出来るんじゃない?

俺は...どうすっかなぁ...(笑)
なんつって。

戦いはいらんね。
平和に向けての「多々書い」はいいかもね!
そんときの気分ですが(笑)


「それなんぼ?」
「それは戦いの行動か?!」
「そんなら、いらんわ!」
「そっちは?」
「ただ過愛😊」
「ただ暖かーい!」
「それ買った!温ったかいい😊」


あははは。


まあね。理想論。
でもさ、目指さないと、実現はしない...。
から、目指すはこれでしょ?!


それでは、そのうち、ばいなら。


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